第37回シスメックス学術セミナー(2014年度)講演要旨

進化し続ける疾患バイオマーカー ~疾患バイオマーカー研究の最前線 バイオマーカーによってがん診療が変わる ~

座長:
浜松医科大学医学部 前川 真人 先生
東京大学/早稲田大学 名誉教授 浅野 茂隆 先生

1. がんのゲノム解読によるバイオマーカー探索と個別化医療:次世代シークエンサーによるがんゲノム解読

独立行政法人 理化学研究所 統合生命医科学研究センター ゲノムシークエンス解析研究チーム
チームリーダー 中川 英刀 先生

2. プロテオミクスによる膵がんの早期診断バイオマーカー探索と検証

独立行政法人 国立がん研究センター研究所 創薬臨床研究分野 分野長 山田 哲司 先生

3. 糖鎖科学に必要とされる基盤技術の開発と、それを応用した糖鎖バイオマーカーの開発

独立行政法人 産業技術総合研究所 糖鎖創薬技術研究センター 成松 久 先生

4. メタボロミクスによる疾患バイオマーカー探索

国立大学法人 神戸大学大学院医学研究科 病因病態解析学分野 准教授・分野長 吉田 優 先生

1. がんのゲノム解読によるバイオマーカー探索と個別化医療:次世代シークエンサーによるがんゲノム解読

独立行政法人 理化学研究所 統合生命医科学研究センター ゲノムシークエンス解析研究チーム
チームリーダー 中川 英刀 先生

 がんは正常細胞のゲノム(DNA配列)に様々な異常が蓄積し、正常な分子経路が破綻した結果、無秩序な細胞増殖や転移をきたす「ゲノムの病気」である。今日、これらがんのゲノム異常を標的とした様々な分子標的治療薬が開発され、がんの治療成績の向上に寄与している。乳がんのHER2遺伝子増幅を標的としたハーセプチンが成功例であり、EGFRを標的とした薬が開発されてEGFR変異のある症例が適応となる一方で、その下流のKRAS遺伝子に変異があるものは適応外となり、ゲノム情報をバイオマーカーとしたがん治療の個別化が進みつつある。また、BRCA1/2変異のある遺伝性乳がん患者やその家族には、予防的切除などの様々な措置もとられようとしており、ゲノム情報をバイオマーカーとしたがん予防医療も広まりつつある。超大量のDNA配列を決定する近年の次世代シーケンス技術(Next Generation Sequencing:NGS)とビッグデータを扱う情報解析技術の爆発的な進歩に伴い、多数のがん遺伝子を標的としたシークエンス解析や、ヒトゲノムの配列約30億塩基を決定し、ほぼすべての変異の検出が可能な全ゲノムシークエンス解析が比較的安価で迅速に行うことが可能になってきた。NGSによるがんゲノム解読により、同じがん腫であっても個々の腫瘍は異なるゲノム異常の個性を持つこと、あるいは治療抵抗性を獲得するために新たなゲノム変異を獲得して進化していくことなど、がんゲノムは極めて多様性と柔軟性に富んでいることも明らかになってきている。これら多様性と柔軟性の併せ持つがんのゲノム変異を網羅的に検出し、それらを統合的に解析することにより、がんの理解、新たな治療標的の同定、そしてゲノム情報をバイオマーカーとした個別化医療や予防医療がさらに進展することが期待される。さらには、NGSは診断機器としての可能性も模索しており、海外では遺伝性疾患や細菌ゲノム解析で認可診断機器として病院などで採用されつつある。がんの様々な臨床のフェーズ(予防>診断>治療>経過観察)にてがんゲノム情報に基づくバイオマーカーおよびそれを測定するためのNGS診断機器が、近い将来、病院内に設置され広く普及することも予測される。本発表では、NGSを用いたがんゲノムの解読とそこからのバイオマーカー探索、さらにはがんの個別化医療にためのゲノムシークエンスの様々な課題について概説する。

2. プロテオミクスによる膵がんの早期診断バイオマーカー探索と検証

独立行政法人 国立がん研究センター研究所 創薬臨床研究分野 分野長 山田 哲司 先生

 がん克服のためには早期診断が重要なことは論を待たない。しかし、今日においてもがん検診受診率は低く、進行して始めて見つかる症例が後をたたない。そのため、新規治療法の開発も重要である。さらに同じ臓器に発生した同じ組織型の腫瘍であってもその臨床経過は大きく異なり、治療の個別化が必要である。近年マイクロアレイやシーケンス技術が進歩し、ゲノムワイドな遺伝子発現や変異解析が可能になってきているが、生命現象や疾病の病態を直接担うのはタンパク質であるため、新規バイオマーカーや治療標的の発見にはどうしてもタンパク質の網羅的な解析(プロテオミクス)が欠かせない。また、診断や治療法として研究成果を生かすためには民間企業との協同が必須である。国立がん研究センターは、シスメックス株式会社と包括的な連携契約を締結し(平成25年10月29日付け日本経済新聞朝刊など)、バイオマーカーの実用化を推進している。

3. 糖鎖科学に必要とされる基盤技術の開発と、それを応用した糖鎖バイオマーカーの開発

独立行政法人 産業技術総合研究所 糖鎖創薬技術研究センター 成松 久 先生

 私たちは新しい科学分野である糖鎖科学を開発するための長期的戦略を提案した。初めに開発したのは、この分野に参入しようとする科学者や技術者に役立つ基盤技術ツールである。その最初のプロジェクトとして、糖鎖遺伝子の徹底的探索とその機能分析を実施した。この研究の成果は、その後の(1)グリカンの酵素合成の技術、(2)グリカンの構造分析の技術、および(3)グリカンの生物学的機能の分析といったプロジェクトにつながった。私たちは10ヵ年戦略の前半5年間でこれらの基盤ツールを開発し、それをより有用な製品、例えば特に肝線維症や癌を診断するための疾患バイオマーカーなどの開発に応用した。その結果、診断用の肝線維症マーカーおよび胆管癌マーカーの実用化はほぼ完了し、現在はその他の癌の診断用バイオマーカーの開発を進めている。この10年間の研究成果は世界、特にアジア諸国に伝えられ、国内外の研究グループとの共同研究契約の締結をもたらしている。

4. メタボロミクスによる疾患バイオマーカー探索

国立大学法人 神戸大学大学院医学研究科 病因病態解析学分野 准教授・分野長 吉田 優 先生

 メタボロームとは、生体試料(体液、組織、細胞等)に含まれる低分子代謝物(分子量1,000 以下)群である。これらの代謝物を網羅的に定性・定量解析することをメタボローム解析と呼び、主に質量分析計や核磁気共鳴(NMR:Nuclear Magnetic Resonance)を使って測定されている。生体内の代謝物を網羅的に解析するメタボローム解析(メタボロミクス)は,ポストゲノム科学の一分野として生まれた最も新しいオーム科学(網羅的代謝物解析情報に基づく科学)である。機能未知遺伝子の機能解明の有力な研究手段として、生命科学・医学研究、医療分野への応用が期待されている。特に近年では、質量分析計を用いた解析技術が進展し、ライフサイエンス分野では欠かせない研究手法の一つとなりつつある。医学研究をはじめとしたさまざまな分野においてもその重要性が認識され始め、特にバイオマーカーの候補の検索に有用とされている。その理由として、様々な病態において、病気に関連する細胞・組織内において酵素タンパク質による代謝の変動が起こり、その疾患特有の代謝物のパターン(メタボロームプロファイル)へと変化し、それが血液・尿中にも反映することが予想されるからである。これまで私達は、生命科学,有機化学,分析化学,情報科学の複合領域であるメタボロミクスを実際の現場で役立つように研究開発を行ってきた。農学部、栄養学部、薬学部などの異なる分野の研究者と連携して、幅広く研究を行っている。食品、細胞、実験動物、臨床検体などの代謝物を網羅的に測定してその情報を統合し、プロファイリングによる評価、高解像度形質解析法を用いたメタボロミクスの基礎医学や臨床医学、特に疾患バイオマーカー研究についてご紹介する。