第34回シスメックス学術セミナー(2011年度)講演要旨

がんのゲノムとエピゲノム ~ゲノムレベルで調べる検査の将来~

座長:
日本赤十字社長崎原爆病院 朝長 万左男 先生
理化学研究所 西川 伸一 先生
早稲田大学理工学術院 浅野 茂隆 先生

1. 医療情報としてゲノム(全遺伝子情報)を調べる意義と将来

理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 副センター長 西川 伸一 先生

2. がんゲノミクスに基づく新規治療戦略

自治医科大学 分子病態治療研究センター ゲノム機能研究部 東京大学大学院医学系研究科 ゲノム医学講座
教授 間野 博行 先生

3. エピゲノムの診断応用ーエピゲノムの独壇場と得意技

国立がん研究センター研究所 エピゲノム解析分野 副所長/分野長 牛島 俊和 先生

4. 癌治療薬としてのヒストンデアセチラーゼ阻害薬

武田薬品工業株式会社 医薬研究本部 研究戦略部 主席部員 中西 理 先生

1. 医療情報としてゲノム(全遺伝子情報)を調べる意義と将来

理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 副センター長 西川 伸一 先生

 生命の特徴は、「個」として外界から独立した単位の中にDNAという情報が組み込まれていることである。新陳代謝で個体の構成成分が全て変わってしまっても、情報が時間を超えて個性を発揮することを保証している。さらに人間になると、個性を特徴づける情報はDNAだけにとどまらない。エピジェネティック、神経記憶、言語、文字、さらにはバーチャルメディアまでどんどん多様多層になっている。個人の医療情報もこの多種多層の情報の一つと言えるだろう。しかし、これまで、医療情報が個性を特徴づける他の情報と関連付けられることはまれであった。自分のゲノムを読むことに手が届くようになり、また個人の生活や行動をself-logとして記録可能になった現在、医療情報も個人情報全体と関連付け、統合的に利用することができる時代が来たと思っている。本講演では、個人の情報を統合して扱う新しい時代の医療情報について皆さんとともに考えたい。

2. がんゲノミクスに基づく新規治療戦略

自治医科大学 分子病態治療研究センター ゲノム機能研究部 東京大学大学院医学系研究科 ゲノム医学講座
教授 間野 博行 先生

 固形腫瘍は人類最大の死因であり、現在も有効な治療戦略は極めて少ない。我々は「がん化する能力」に基づく独自のがん遺伝子スクリーニング技術を開発し、それを用いて肺腺がん臨床検体より新規融合型がん遺伝子EML4-ALKを発見した。ALKはチロシンキナーゼをコードするが、染色体転座の結果、EML4と融合し恒常的活性型キナーゼとなる。EML4-ALKを肺胞上皮特異的に発現するトランスジェニックマウスは生後すぐに両肺に肺腺がんを多発発症し、しかも、これら腫瘍はALK阻害剤投与により速やかに消失した。従ってEML4-ALKは同遺伝子陽性肺がんの中心的発がん原因であり、だからこそその機能を抑制する薬剤は新しい肺がんの分子標的療法になることが証明されたのである。我々の発見を受けて多くの製薬会社でALK阻害剤の臨床開発が進んでおり、ALK阻害剤単剤投与によって既に完全寛解症例も出現している。EML4-ALKは肺がん全体の4~5%に存在するが、我々の発見によりこれら症例の生命予後が大きく変わろうとしている。

3. エピゲノムの診断応用ーエピゲノムの独壇場と得意技

国立がん研究センター研究所 エピゲノム解析分野 副所長/分野長 牛島 俊和 先生

 エピジェネティック修飾は、細胞がゲノムのどの部分を使用するのかを記憶するための目印で、化学的にはDNAメチル化とヒストン修飾からなる。発生の過程で、細胞の種類に応じたエピジェネティック修飾のパターン(エピゲノム)が形成され、形成された後は細胞毎のエピゲノムが一生の間維持される。細胞の周囲環境等に応じて遺伝子発現が大きく変動しても、エピゲノムは変動しない。一方で、ピロリ菌感染などでエピゲノムが攪乱され、重要ながん抑制遺伝子が不活化されると、発がんの原因となることも知られている。このようなエピゲノムの性質から、エピゲノムでなくては診断できないエピゲノムの独壇場、エピゲノムを用いた方がよりよいというエピゲノムの得意技が見えてくる。例えば、一見正常に見える組織に蓄積したエピゲノム異常を定量、これまでの生活歴を考慮した発がんリスクを診断するという方法は、エピゲノムの独壇場である。また、エピゲノムを用いると将来も遺伝子が発現しないことがわかり、生検検体では発現なしと診断したものの化学療法中に発現してしまうということが起こらない。さらに、強い遺伝子発現異常を示す細胞が混在すると検体全体で発現異常があるかのように見えてしまうが、エピゲノム変化の場合にはそのようなことはない。

4. 癌治療薬としてのヒストンデアセチラーゼ阻害薬

武田薬品工業株式会社 医薬研究本部 研究戦略部 主席部員 中西 理 先生

 ヒストンデアセチラーゼ(HDAC)阻害薬が臨床応用可能な活性レベルに達し、癌治療薬候補として研究され始めてすでに約20年が経過している。当初さまざまな癌への応用が期待されたにも関わらず、現時点では一部の血液癌で臨床適応が承認されているのみである。現在も複数のHDAC阻害薬の臨床開発が血液癌と固形癌において、単剤あるいは化学療法薬や分子標的治療薬との併用で進行しており、いくつかの血液癌においては、PhaseII試験で単剤での明確な薬効が示されたことから、今後の開発が期待されている。一方、固形癌に関しては単剤での明確な有効性は示されておらず、化学療法薬や分子標的治療薬との併用効果の検討が臨床開発の主流となっている。本稿においては、癌治療薬としてのHDAC阻害薬に関する基礎から臨床までの研究開発についてふり返り、癌治療薬の中で主流となり始めている分子標的治療薬の研究開発動向との対比を行うことで、HDAC阻害薬開発の問題点と今後の展望について議論する。